Le 1er Mars 2013, Ebène nous a quitté.
Gentille, belle, rigolote, c'était une chatte exceptionnelle.
Merci et au revoir Ebène
Nous ne t'oublierons jamais...
娘の夢が生まれる前の日、
その頃いつもしていたように
私はエベンヌと昼寝をしていた。
するとめずらしくアルバトロスがやってきて
エベンヌにくっついて丸くなった。
病気のエベンヌを残して入院することが気がかりだったのだけど
その瞬間、私は急に心が軽くなった。
エベンヌはひとりじゃない、アルバトロスがいる!と思って。
そして夫に、
たぶんもうすぐ産まれると思う
と言っていたら本当にその夜、陣痛が始まった。
入院中は夫と彼の両親が毎日エベンヌの様子を見に行ってくれた。
慣れない育児がいきなり始まって
プロに囲まれた病院にずっと居たい、という気持ちと
早く帰ってエベンヌに会いたい、という気持ちに挟まれて
私はずっと混乱していた。
そして5日間の入院生活を終えて家に帰ると
エベンヌは半分くらいにやせ細っていた。
それでも
私がおっぱいをあげているとヨロヨロとやって来て
小さな娘のおしりに寄り添う。
体温の高い、いい匂いのする赤ちゃんにくっつきたかっただけかもしれない。
でも私には
夢を守ってくれているように思えてならなかった。
エベンヌ、赤ちゃんが来るのを待っていてくれたの?
それから毎日、亡くなるその日まで
食欲はどんどん減って体力もなく苦しかっただろうに
決して攻撃的になることなく
エベンヌは私たちに優しく寄り添ってくれた。
3月1日、とうとう歩くことも座ることもできなくなって
獣医さんを呼んだ。
末期癌がわかってあと数日、と言われながら3週間、
獣医さんは
よくがんばったなあーと
とても驚いていた。
そして涙涙の私たちの腕の中で麻酔を打ってもらい
いつものように眠りにつき
そのまま病院に運ばれた。
これが、最後の日の写真。
もう歩けないのに匍匐前進みたいに前足を折って
私たちのところに来た。
いつか夢が大きくなったら見せてあげようと思う。
実は私たちにはなかなか子供ができなくて
不妊治療を4年した。
1年目は普通の産婦人科に通っていろいろ検査をして
原因不明だったため、次の年から
大きな専門病院に行くことをすすめられた。
本格的な治療をする、ということに私はすごく抵抗があった。
それでも決心して初めてふたりで
その病院に行ったのが3年前の4月のある日、
手帳を見てみたら信じられないけれど
エベンヌはその翌日にうちに来たのだった。
不妊治療と同時に2匹目の猫を飼うことを決めたのには
心のどこかで
もし赤ちゃんができなくても‥という思いがあったのかもしれない。
そして何か明るい新しい存在を必要としていた。
確かに先の見えない不妊治療は簡単ではなかった。
3年間の間に、私は子宮内膜症の手術を受け妊娠と流産を2回経験した。
つらい時はいつも猫達がそばにいてくれた。
3回目の妊娠がやっと順調にいき、エベンヌは夏の間も
私のお腹を守るようにして、ずっとぴったりくっついて寝ていた。
出産間近になって突然、エベンヌの余命わずかということがわかった。
まるで役目が終わって去って行く天使か妖精のようだった。
それくらい、機嫌の悪いことのない猫だった。
私たちは、エベンヌの10分の1でも強くなれたらいいね、と今でも話す。
出産の時もエベンヌの頑張りを思った。
テーブルにつけばエベンヌが膝に乗って甘えてくる気がする。
夜布団に入れば、エベンヌが頭をこすりつけてくる気がする。
家に帰れば、二匹のねこにただいまーと言いたくなる。
まだまだ思い出が多すぎてつらいけれど
エベンヌはいつまでも私たちの胸の中にいる。
数日間だったけれど、家族全員で過ごせて良かった。
サヨナラエベンヌ、うちに来てくれてありがとう。