2011年6月17日金曜日

私と父のこと

日本の実家から荷物が届いて
その中に父の個展のお知らせがあった。

父の大好きなパリと、私の現在住むコルニヨン・コンフーの絵が中心の展覧会です
L'exposition de mon père :アートギャラリー・リフレ

『いつか棲む町』
なんてタイトルをつけちゃったわりに
私が結婚してから父はめっきりフランスに来なくなって
その間に私も体調を崩して日本行きをキャンセルしたりで
もうかれこれ2年会っていない。

その昔勝手に留学を決めて準備を進めて
それじゃあちょっと行ってきます、と言った私に激怒した父。

出発前の数ヶ月間は、ほとんど口を聞かなかった。
そんな父を見て
わからずやだなあーと思っていたけれど
一人娘の予期せぬ出発が
ものすごくものすごく寂しかったんだと今ならわかる。

それから数年経ってなかなか日本に帰ってこない私と
また喧嘩したこともあった。

帰国するのかフランスに残るのか、
就職するのか結婚するのか‥

いろいろな決断が私はできずにいて

いったいこれからどうしたいんだ?と聞かれても

ピアノがもっと上手になりたいのとしか答えられなかった。

上手になりたいって、皆そう思ってるんだよ、
それだけじゃだめだよ、と父は言った。

それから私も少しずつ仕事を始めてパリで落ち着いて来た先に
パニック障害でパリにいられなくなった夫と結婚を決めて
南仏の田舎で音楽教室を開きます、と言ったときは
両親もほぼ諦めムードだった。


やめなさいと言われると燃える私の性格を知りつくしてか

まあがんばってみなさいよ
という感じ。

それでも引っ越し前に初めて皆でコルニヨン村を訪れて
町を越えてどんどんのどかな田園風景が広がって来たとき
父と母は車の中で絶句した。

僕らの娘はどうなっちゃうんだろうね

とぽつりと父がつぶやいた。
母は不安そうに窓の外を見て答えなかった。

私はもう
わからずやだなあーとは思わなくて
ただ、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

だから初めのころは生活が厳しくて先が見えなかったり
本当に息が苦しくなるくらい毎日不安だったけれど
弱音は吐けなかった。

今、父と母は私たちの活動を喜んでくれて、
そして体にだけは気をつけなさいと
言ってくれる。
注文していた楽譜と本だけでいいよ、と
言っていたのに
母はたくさんの日本食や生徒さんに渡すシールを
段ボールいっぱいに詰めてくれた。

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